2019年3月8日金曜日

メーカー探訪シリーズ ー N御三家のM


云わずと知れた天下の三菱電機様です。


自社で開発したナンバー読取機をこの鎌倉製作所の敷地から公道上に突き出した構造物にマウントして試験しています。全国各地に設置された端末と、この場所の機器を照合すれば容易にこちらのメーカーの製品と特定出来るため、これまでに多数のNシステム端末(ナンバー読取機)をリリースしていることが知られています。

権利意識の高い方々からは、いち私企業が何の権限で市民を撮影しているのかと批判されることもありますが、まあそこは公権力と一体化した産官学複合体の一部ですから実際のところお咎めを受けることはありません。


先日メーカーP(松下通信工業)の記事でCOATECの話が出たのですが、あまり目耳にしないレアな話題であるため、折角の機会ですから続きをここに書き残しておこうと思います。丁度こちらの会社に関係のある話ですし。それは前に述べたようにデコーダーを独占製造していた3社の一角だからではありません。

概略を述べると以下の通りです。

・・・三菱電機の資本が入っていたメルダックという音楽レーベルがあった。その派生事業でメルサットという名称のものがあり、当時華々しく開始されたDSB(直接衛星放送)で立ち上がったJSB(WOWOW)やCS利用の委託放送事業者等に音源を提供する計画があった。そんな中、郵政省(当時)から「JSBが使っているアナログBS 注1 3ch(1991年10月25日からは5ch)の“ 独立音声放送 ”に名乗りを挙げている事業者が実はまだ居ない。やらないか」とお声がかかり、セントギガこと衛星デジタル音楽放送(株)を立ち上げることとなった。スクランブルを掛けていない無料の試験放送中には延べ10万件もの好意的な感想が寄せられた。ところが1991年9月にスクランブルを掛ける有料放送に移行する際の実際の契約者はたったの3,000人だった。その後も聴取契約者数は伸び悩む。局側の経営を開局当初から圧迫したのは、コアテックのエンコーダーや顧客管理システムに20~30億円もの初期投資が必要だったこと。参入前の見込みではWOWOWのそれを便乗して使わせてもらえると思い込んでいたが実際には独立音声であってもWOWOWとは別に自前の一式を備えなければならなかった。これが誤算だった・・・

以上は90年代前半に週刊ポスト誌上だったと思いますが、セントギガの社長 F氏が述べた事の要約です。

かの局の契約聴取者数が伸び悩んだ理由は
(以下、文章が冗長になるため、箇条書き かつ“である調”で記述)

・聴取するにはBSアンテナ・チューナーに加えコアテックのデコーダーが必要で、そのレンタル料や機材購入費の負担が聴取者側にあったこと。

・世間に多少出回っているのはWOWOW向けのデコーダーで、聴取する際に画面はWOWOWで、音声はセントギガでというスタイルが成立しづらかったこと 注2

・セントギガ オーディオデコーダー 注3 という機器もあって、これを備えればWOWOWとの契約なしでセントギガを純粋なPCM音声放送として聴取出来たがこのデコーダーは買取りだと三万数千円 注4 もした。レンタル制度もあるにはあったが、月額のレンタル料は放送聴取料より高かった。そのためこの機器はほとんど市場に出ていなかったと思われる。

・放送事業者側にとってもこのスクランブラー一式は非常に重い負担をもたらした。まず前述のF社長激白のように機材が高額で、運用にも高い経費が掛かる。また仕組みが複雑で、放送局から顧客のデコーダーにデータを送る際、当該チャネルのアップリンクに直接乗るのではなくまず専用線でSARC(衛星放送セキュリティセンタ)にデータが流れて行き“処理”されてから局に戻って来てアップリンクに乗るがこれによりSARCに支払う手数料が発生するようになっていた。これはスクランブルの強度・不正視聴の試みに対する耐性を上げるための措置だと言えば正当化できるかもしれないが、放送事業者や視聴者に余計なコストを負わせていた。当時のPCは性能が低くこのスクランブルの攻略に使えるほどのものではなかったにもかかわらず。つまり過剰・不必要なまでの強度を実現していた 注5 コアテックは、SARC(衛星放送セキュリティセンタ)を養うようシステムが作られていたのだ。
(箇条書き かつ “である調”での記述は以上)

また同様にコアテックのスクランブルを利用したCS-PCM放送というものもありましたが、こちらは契約者数が300人なんて局もあり、開局直後に早々に撤退する事業者(スーパーバード系 注6 )が出る等、郵政省の電波行政の破綻=官僚神話の崩壊といった感じの出来事も起きていました。時期的にはこの辺りであの80年代末期~92年頃のバブル経済が崩壊しています。

セントギガの件は、技術的に可能になったからといってCOATECなんていう化け物の如きシステムを作ってしまった産官学複合体という大タコが、結果として自らの足を食った出来事として印象に残っています。
技術だけ進歩しても精神性が伴わず 注7 。
インフラ整って客は居らず。戦艦大和を建造したが使う局面は無かったのと同様のことがまた繰り返されました。
バブル経済崩壊以降、空白のxx年間などといわれますが、その数字のカウントは未だに続いているように思われます。


注1:アナログBSといっても音声やスクランブル関係の信号は映像とは別の搬送波をデジタル変調したものだったのでデジタル音楽放送で矛盾はない。放送の音声とデコーダーに配信するスクランブル関係の信号等を足した総ビットレートは2,048kbps(2Mbps)でデータ放送向けのスロットも確保されていた。後に家庭用ゲーム機へのデータ配信にも利用された。映像がNTSCコンポジットビデオ信号を周波数変調したものだったのでアナログBSとしていた。音声はリニア 48kHz 16bitステレオ(Bモード)かノンリニア 32kHz 12bitステレオ(Aモード)×2が選択できる規格だったが、WOWOWはセントギガのせいでBモードでは放送出来なかった。例外的にクラシック演奏等を両局合同でBモード放送したことは何度かある。

注2:WOWOWの客層はケーブルTVのそれに相当する。テレビを消し、外付けのBSチューナーに接続した外付けのデコーダーからライン出力をピュアオーディオの機器、もしくはSPDIF(デジタル出力)をDACや録音機に接続してまで聴いているケースは少なかったろう。


注3:記憶があいまいだが定価30,000円前後に消費税3%(当時)外税にヤマト運輸の代引き便の送料手数料を足した額。


注4:ガワ(筐体)から推測するに東芝製と思われる。実際のところ何台売れたのかは知らない。


注5:コアテックがもし破られるとすれば、契約状態にあるデコーダーのクローニングしか有り得ないと言われていたが、デコーダーのID書き込みは製造
メーカー3社にしかない特殊な機材でしか行えなかったとか。この装置はおそらくはSARCに専用線で接続されて動作するものだったのではないか。のちにSARCはコアテックでは事故は1件もなかったと述べていた。後輩のB-CASが破られたのはCAS関係のデータを、こともあろうか汎用のリーダー/ライターで書き換えできるカード上に置いた事とPCの性能向上が効いたと思われる。

注6:JC-SAT2号機でなくスーパーバードのトラポンを使ったCS-PCM放送が当初存在していたこと自体知らない人が殆どだろうと思われる。最初期のチューナーにはCS-IF入力が2系統あったが、生き残ったのはJC-SAT2号機のトラポン2本分だけだったので、後のモデルでは入力は1系統のみとなった。


注7:金を払った者だけに視聴させるインフラを作って商売しよう・メンツが掛かっているからガチガチにスクランブルを掛けろ・天下り先を作るのを忘れるな的な事です。

最終更新日:2021-12-27